テニスや音楽イベント、大学時代が今に活きる
映像制作を主な事業とする株式会社KickSmash21を三重県伊勢市に設立。明治時代から続く刃物屋「伊勢菊一」やアウトドア体験を提供する「志摩自然学校」の経営など、三重県の伊勢志摩地方を中心に、地元の活性化に向けて幅広く活動しています。
東海学園に入学したのはテニスがきっかけでした。硬式テニスで三重県の強化選手に選ばれたことで、当時の監督から声を掛けられ、より高みを目指したいと大学王座を目指す新設チームに参加。近隣県から力のある選手たちが集まり、在学中には東海リーグ2部に昇格。その後1部に昇格し、全国大会まで出場するチームの基盤作りに参加できたことは大学時代の良き思い出の1つです。当時、部活も遊びも全力投球し合っていたメンバーとは、公私共にお付き合いが続いています。
実は「KickSmash」という社名は、テニス部の先輩とはじめた音楽イベントサークルの名前。多くの人を集め、イベントを成功させた体験も今に活かされています。
地元のムーブメントを巻き起こす
経営学部を選んだのは、子どもの頃から経営者になりたいという夢があったからです。実家は畳屋で、小さい頃から畳を縫ったり運んだり、部活のない日は手伝いをしていました。3人兄弟の末っ子で実家を継ぐことはできなかったのですが、父の背中を見ていたこともあって、社長になるのが当たり前、何かを成す人間になりたいと漠然と考えていました。
就職活動では、いわゆる就職氷河期でありながら、大手を含め10社ほどの内定をいただきましたが、本当にやりたいことは何か迷っていました。就職説明会で松阪ケーブルテレビのブースにたくさんの人が並んでいるのを見て、番組制作に興味を持ち、倍率100倍という難関に挑みました。番組制作でなければ入社しないと直訴した甲斐あって、入社後、制作部に配属が決まりました。
2003年4月には志摩センター開設にも携わり、テレビ局をゼロから作り上げる経験をしました。地元の人を取材したり、中継に携わったりと、番組を作り上げる中で、ローカル情報の楽しさを知り、自分たちが地元のムーブメントを巻き起こしているという感覚を味わいました。
外宮参道から本物がまた1つ消える
28歳で起業すると決めていたので、まだケーブルテレビで学びたいことはたくさんありましたが退社し、2008年にKickSmash21を設立。現在、アクティビティ事業、映画製作事業、TV番組プロダクション事業、小売業、飲食業など5つの事業を、それぞれの会社で展開しています。すべての事業がほとんど同時進行でスタートしました。
自分から動いたというより、縁と縁がつながって動かされているという感じです。
「志摩自然学校」の場合は、取材で校長と知り合い、夏だけのお手伝いのはずが事業を継承することになりました。映画のプロデュースに至っては、伊勢志摩の真珠を扱う企業のホームページを制作したことがそもそものきっかけ。シンガポールで、伊勢志摩の紹介する機会があり、プレゼンをすると現地での認知度が低いことにショックを受け、認知度を高めるために真珠をPRとした映画作成を決意しました。多くの人からの支援もあり、日本では全国劇場公開をすることができ、またシンガポールでの上映も決まりました。
「伊勢菊一」の場合は、外宮参道にある商業ビルのオーナー?山本さんと商品開発会社「JUING合同会社」を共同経営していて、ビルの向かいにある老舗の刃物屋さんが取り壊されて駐車場になってしまうと聞いて。このままでは外宮参道から本物がまた1つ消えてしまう、継承しなければと動いたことがはじまりです。
その商業ビルに2023年10月、外宮参道の新たな観光交流拠点として「キクイチ分室」というブックカフェをオープン。「外宮参道を外宮さんにふさわしい街にする」という活動をしている「外宮参道発展会」の理事も務めていて、外宮参道の街づくりにも携わっています。
未来ある子どもたちを大切にしたい
2007年に伊勢志摩の地域密着イベントとして「音しゃい祭り」という音楽イベントを企画運営し、若者200人のスタッフを集め、3万人を動員しました。「おとしゃい」とは地元の方言でびっくりするという意味で、音楽の「音」とかけたネーミング。地元にも面白いことがある、若い力にもできることがあると、大人たちに見せたかったんです。「音しゃい祭り」をきっかけに「伊勢まつり」の企画運営にも参加。今では伊勢まつり実行委員会の会長を任されています。2023年10月のお祭りでは、東京ディズニーリゾート40周年記念スペシャルパレードを目玉企画として、17万人を動員しました。
自分は、地元に仕事がなければ作れば良いし、仕事のときだけ都会に行けば良い、ずっと都会にいることなんてない、というスタンス。そんなの疲れるし、お金もかかります。「地元って良いよね」という想いを共有したいという気持ちからはじまって、それは今も続いています。
地元と共にあるのが、未来ある子どもたちを大切にしたいという気持ち。地元のお祭りで子どもたちが自慢の特技を披露する場を作ったり、フィリピンのストリートチルドレンのために学校に行くお金を集める組織に参加したりと、活動は広がり続けています。将来の目標は、未来ある子どもたちをはじめ、身近な大切な人たちを助けられる自分でありたいというもの。そのためにあらゆる環境に対応できる体制作りをしています。
そもそも、私には3つの夢があって、社長になること、映画を作ること、月に行くこと。夢は思えば叶うもの。月に行く夢も諦めていません(笑)。
同窓生の皆さんには、困っているときにコンタクトを取ったり、アドバイスをいただけたりするとうれしいです。すでに映画製作でお力添えくださる同窓生もいますが、同窓生なら一気に信頼し合える関係が築けると考えています。